ヒト由来細胞株の起源の確認に関する Short Tandem Repeat-Polymerase Chain Reaction法による解析結果について

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 要旨  はじめに  材料と方法
 結果  考察  文献及び参照

中村幸夫1、吉野佳織1, 岩瀬 秀2、飯村恵美1、西條 薫1、深海 薫2、大野忠夫1、小幡裕一3

1理化学研究所バイオリソースセンター細胞材料開発室、2情報解析技術室、3理化学研究所バイオリソースセンター


要旨

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   細胞材料を用いた研究成果が再現性のある科学的なものであるためには、用いた細胞材料の起源、生物学的特性等が明確にされていることが重要であり、細胞バンクでは、品質管理に努めてきた。 そのなかでも、細胞の起源を確認することは最重要事項であることと認識し、その解析方法の開発を進めてきた。 遺伝子多型解析は細胞材料の起源を確認する上で有用な解析方法の一つである。 いくつかの方法が報告されているが、その中で、最近開発されたShort Tandem Repeat-Polymerase Chain Reaction (STR-PCR) 法は、簡便で信頼性の高い解析方法であり、多数の試料を対象としたハイスループットな解析が可能であり、細胞バンクが所有する多数の細胞株の起源を確認することが可能となった。 そこで、2002年より予備実験を開始し、その有効性を検討・確認した後、我々のセンターが保有し、カタログ及びホームページに掲載している全ヒト由来細胞株に関してSTR-PCR解析を実施し、2005年3月に実験及び実験結果の解析を終了した。 解析には寄託当初に保存された細胞を用いた。 結果として、寄託時点で「他の細胞が混入し、混入した細胞に置換されていた」または「他の細胞との取り違えがあった」と考えられる細胞株が7株あった。 また、同一の患者由来の細胞株として寄託を受けていたが、両細胞株は別々の患者由来の細胞株である可能性が高いと判断された細胞株の組み合わせが1組あった。 これらの取り違え細胞または起源不明細胞は登録を抹消し、提供を中止した。 今回、現有の細胞株に関する解析を一通り終了したが、今後新規に収集する細胞試料を含めて、ヒト由来細胞試料に関しては、収集時点及びその後の継代培養の過程で、STR-PCR解析を継続的に実施していく予定である。 特に、新規に提供を開始する場合には、起源が確認された細胞株のみを対象とすることとする。


はじめに

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培養細胞株は研究材料として必須なものであり、膨大な種類の培養細胞株が広く多くの研究者によって実験使用されている。 培養細胞株は維持と使用のために、継代培養が必要であり、その過程で他の細胞が混入したり、他の細胞と取り違えるという人為的ミスは完全には防ぎきれないことである。 結果として、混入した細胞が優勢に増殖して完全に置き換ってしまったり、取り違えによって全く別の細胞を使用しているという事態が発生する。 こうした事態の発生は、古くから懸念され、指摘されていたところであった(1)。 しかし、培養細胞株に関して、他の細胞の混入や取り違えが無いか否かの検定は、従来の形態学的観察や染色体検査等のみでは不可能であった。

細胞株の起源を確実に検定するためには、最終的には遺伝子レベルでの多型解析が有効であるが、膨大な種類の培養細胞株に関して、その全細胞の詳細な遺伝子多型解析を実施することは現実的には不可能である。 最近開発されたDNA finger print 解析法の一種であるMultiplex Short Tandem Repeat-Polymerase Chain Reaction (STR-PCR) 法は、ゲノム上の様々な部位に存在する繰返し配列(Short Tandem Repeat)はその繰返し回数に関して多型性があることを利用した遺伝子多型解析法であり、いくつかの領域の解析を組み合わせることによって(Multiplex)統計学的検定の精度を高めることができる(2)。 Multiplex STR-PCR法は、簡便で信頼性の高い遺伝子多型解析法であり、膨大な試料を対象としたハイスループットな解析を可能とした。 しかし、培養細胞株の多くは染色体が3倍体、4倍体あるいはそれ以上に変異していること、また染色体の欠失変異、挿入変異、転座等も頻繁に発生していること等から、細胞株の起源の確認検査法としてMultiplex STR-PCR法の適用が可能か否かの検証が必要であった。 しかし、その後の検証実験により、この方法が細胞株の起源の確認検査法として信頼性の高い有効な方法であることが示された(3)。 さらに、世界の各細胞バンクにおいても独自に検討が重ねられ、同法が有効であることが確認されつつある。 当室においても、Multiplex STR-PCR法の有用性を検討・実証し、保有ヒト由来細胞に関する検査を実施してきた。 最終的に、カタログ及びホームページに掲載している全ヒト由来細胞株に関して、寄託当初に保存された細胞を用いて、Multiplex STR-PCR解析を実施し、最近その解析を終了したので、ここにその結果を報告する。


材料と方法

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細胞

 当センターのカタログ及びホームページに掲載している全ヒト由来細胞株を対象とした。 実験には、寄託当初に保存された細胞を用いた。

 DNA抽出法

  2×106個の細胞から、DNeasy Tissue KitR (QIAGEN、Hilden) を用いて、DNAを抽出した。

Multiplex STR-PCR法

Promega PowerPlexR1.2 を用いて解析を行った。 DNA 2.5 ngを鋳型とし、AmpliTaq GoldR (Applied Biosystems, California) を用いてPCRを行った。 用いたプライマーは表1に示す。 PCRにはGeneAmpR PCR system 9700(Applied Biosystems)を用い、条件はdenature 94℃ 30 sec, annealing 60℃ 30 sec, extension 70℃ 45 sec にて10 cycle, 次にdenature 90℃ 30 sec, annealing 60℃ 30 sec, extension 70℃ 45 sec にて20 cycleで実施した。 PCR後のサンプルをdeionized formamideに溶解し、ABI PRISMTM 310 Genetic Analyzer(Applied Biosystems)にてPCR産物の解析を実施した。

統計学的解析法

異なる9箇所の染色体領域における、それぞれの繰返し配列の繰返し回数の結果を、解析した他の全ての細胞に対して比較し、多次元解析を行い、階層的クラスタリング(hierarchical clustering method)の最短距離法(euclidean)で解析した(4)。 クラスタリング手法としては、非階層的クラスタリング(non-hierarchical clustering method)のうちの代表的な k-mean 法及び Fuzzy cMeans 法(4)も試みたが、既知の情報と実験データを比較検討した結果、階層的クラスタリングの方が適していると判断し、階層的クラスタリングを用いて解析した。 確率分布からワイブル分布に適合させ、99.5%信頼区間を越えるものを、同一細胞である可能性が高いと判断した(4)。


結果

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Multiplex STR-PCR解析に関して、2002年より予備実験を開始し、その有効性を検討・確認した後、我々のセンターが保有し、カタログ及びホームページに掲載している全ヒト由来細胞株に関してSTR-PCR解析を実施し、2005年3月に実験及び実験結果の解析を終了した。 解析は、個々の細胞株のゲノムDNAを鋳型として9種類のプライマーペアを用いて実施されたPCRの結果に関して、他の全ての細胞の実験結果と比較検討するという方法で行った。 各プライマーペアによって出現する可能性のあるピークの全種類を検出できるコントロール実験の結果を図1に示す。 実際の試料では、各プライマーペアによって、原則的にはピークが1本または2本検出されることになる。 父親・母親双方から繰り返し数が同じ遺伝子型を引き継いでいると1本のピーク、父親・母親から異なる繰り返し数の遺伝子型を引き継いでいると2本のピークが検出される。 各プライマーペアによってどの長さのピークが検出されたかの結果に関するデータベースを構築し、統計学的処理の後、確率分布からワイブル分布に適合させ、99.5%信頼区間を越えるものを、同一細胞である可能性が高いと判断した(材料と方法を参照)。

異なる研究者から寄託された細胞株が同一細胞である可能性が高いと判断された細胞ペア

  RERF-LC-AI細胞(肺癌由来細胞株)とGT3TKB細胞(胃癌由来細胞株)とが同一の細胞株であることを強く示唆する結果が得られた(表2)。 それぞれの細胞株の寄託者は異なるが、GT3TKB細胞の寄託者より 「GT3TKB細胞とRERF-LC-AI細胞とを同時に培養していた時期があり、GT3TKB細胞へのRERF-LC-AI細胞の混入または取り違えがあった可能性が高く、GT3TKB細胞の寄託を取下げる。」 という趣旨の連絡を受けた。 RERF-LC-AI細胞の提供は継続し、GT3TKB細胞の提供は中止した。

  その他、当センターへの寄託以前に、「HeLa細胞が混入し、HeLa細胞が優勢に増殖した」または「HeLa細胞との取り違えがあった」と判断された細胞株が2種類あった。 それらの細胞株の提供は現在中止している。

 同じ研究者から異なる細胞株として寄託された株が同一細胞である可能性が高いと判断された細胞ペア

「SCCTF細胞とSCCKN細胞」(表3)、「Lu-130細胞とLu-134(A,B)細胞」(表4)、「HKMUS-SF細胞とSKG-II-SF細胞」(表5)、「ETK-1細胞とSSP-25細胞」(表6)、「TCO-1細胞とTCS細胞」(表7)、以上はいずれも同じ研究者から、異なる患者から樹立された同じ種類の癌の細胞株として寄託を受けた細胞株ペアである。 しかし、今回の検査でそれぞれ同一患者由来の細胞株であることを示す結果が得られた。 今後の対応に関しては、寄託者とも相談の上、表中に示してある(表8)。

 同一患者由来の細胞株であるとされていたが異なる患者由来である可能性が高いと判断された細胞株

TCO-1細胞とTCO-2細胞とは、同一患者の子宮癌由来の細胞株であるとして同一研究者から寄託されていたが、両細胞株は異なる患者由来である可能性が高いと判断された(表7)。 寄託者の意向により、TCO-2細胞のみの提供を継続する。

 女性由来細胞であるとされていたがY染色体が検出された細胞株

女性乳癌細胞由来であるとして寄託されていたHBL-100細胞に、Y染色体の存在が強く示唆されたため、FISH (fluorescence in situ hybridization)検査を実施したところ、Y染色体の存在が確認された(図2)。 寄託者からの寄託取下げの意思を確認したので、HBL-100細胞の提供は中止した。


考察

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  HeLa細胞は世界で初めて樹立された細胞株であり、その後多数の研究者によって膨大な数の実験に使用されてきた。 HeLa細胞は、現在でも最も汎用性の高い細胞株の一つであり、HeLa細胞の他の細胞株への混入は、古くから指摘されていた(3)。 今回の検査では、2種類の細胞に関して、HeLa細胞の混入による置換が生じていた可能性が高いことが判明した。
  GT3TKB細胞は、同細胞が樹立されるより以前に樹立されていたRERF-LC-AI細胞と同一の細胞である可能性が高いと判断された。 「結果」でも述べたが、GT3TKB細胞の樹立・寄託者も、我々が今回実施した検査結果から判断して、寄託当初からRERF-LC-AI細胞の「混入による置換」または「取り違え」があった可能性が高いことを認め、寄託を取り下げることとなった。 これ以外で同一人物由来細胞である可能性が高いと判断された細胞ペアは、同一の寄託者からの寄託細胞であり、由来する癌の種類が同一のものであった(表8)。
  HBL-100細胞は女性乳癌由来細胞であるとして寄託を受けていたが、今回の検査で男性由来細胞であることが判明した。 「混入による置換」または「取り違え」を起こした細胞は、当室が保有する細胞株の中には存在せず、現時点では不明である。
  Multiplex STR-PCR解析は、各細胞株に関して、寄託当初の細胞を用いて実施した。 従って、「他の細胞の混入による置換」または「他の細胞との取り違え」は寄託を受けた時点で既に存在していたと考えられた。 今回、現有の細胞株に関する解析を一通り終了したが、今後新規に収集する細胞試料を含めて、ヒト由来細胞試料に関しては、収集時点及びその後の継代培養の過程で、Multiplex STR-PCR解析を継続的に実施していく予定である。 特に、新規に提供を開始する場合には、起源が確認された細胞株のみを対象とすることとする。
  細胞株の混同の原因としては、一方の細胞の他方へのコンタミネーション、培養容器丸ごとの取り違え、他研究者への譲渡の際の勘違い等々様々な原因が考えられる。 形態や増殖能だけでは区別が困難な細胞株間同士では、こうした混同は少なからず発生していると考えられる。 ヒト由来細胞株のみならず、マウス由来の細胞株においても、例えばNIH3T3細胞とL929細胞とはどちらも汎用性の高い付着性細胞株であるが、日本の研究室では両細胞株がお互いに混同されている場合が多いと推察されている。 従って、各研究室には、独自に長期間保存しているような細胞株が多数あることと推察するが、研究目的によっては、「他細胞の混入による置換」または「他細胞との取り違え」の有無に関しての検査を厳密に実施することが推奨される。
  当室以外のATCC (American Type Culture Collection, U.S.A.)及びJCRB (Japanese Cancer Research Resources Bank、日本)等の細胞バンクでもMultiplex STR-PCR解析を継続的に実施しており、その解析結果は随時公開し、各々のホームページから入手可能である(5)。 各細胞バンクでの解析結果を比較検討することが可能なように、上記2細胞バンクと当室とは、同じPromega PowerPlexR1.2 を用いて解析を実施している。 従って、各研究室においては、Promega PowerPlexR1.2 を用いて独自にMultiplex STR-PCR解析を実施し、その結果を各細胞バンクが所有する細胞株の解析結果と比較検討することが可能である(6)。 しかし、Multiplex STR-PCR実験をセットアップし解析を実施することは、どこの研究室でも迅速に容易に実施できるようなものではないことも事実である。 そこで、細胞株に関しては、自らの研究室で長期間保有することは避け、新規研究課題を開始する前に、Multiplex STR-PCR解析法により起源が確認され、細胞特性等が明確な細胞株を細胞バンクから入手することが、非常に有効な対応策であると思われる。 また、樹立し、研究が一段落ついたような細胞株に関しては、積極的に細胞バンクに寄託して頂き、細胞バンクでの厳密な品質管理の下で、他の研究者への提供を行うことを推奨する。 こうした研究者の理解と協力は、実験再現性が確保された高品質な細胞材料を用いた研究を普及させ、生命科学分野の発展に大きな貢献をするものであると考えている。


文献及び参照

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1)Gartler, S.M. Genetic markers as tracers in cell culture. Natl. Cancer Inst. Monogr. 26: 167-195 (1967)

2)Lins, A.M., Micka, K.A., Sprecher, C.J., Taylor, J.A., Bacher, J.W., Rabbach, D.R., Bever, R.A., Creacy, S.D., and Schumm, J.W. Development and population study of an eight-locus short tandem repeat (STR) multiplex system. J. Forensic Sci. 43: 1168-1180 (1998)

3)Masters, J.R., Thomson, J.A., Daly-Burns, B., Reid, Y.A., Dirks, W.G., Packer, P., Toji, L.H., Ohno, T., Tanabe, H., Arlett, C.F., Kelland, L.R., Harrison, M., Virmani, A., Ward, T.H., Ayres, K.L., and Debenham, P.G. Short tandem repeat profiling provides an international reference standard for human cell lines. Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A. 98: 8012-8017 (2001)

4)「グラフィカルモデリングの実際」日本品質管理学会編 (1999)

5)本報告書に記載した当センターの解析結果は近日中にホームページにても公開する予定。

6)ホームページ上でのシステムが完備できるまでの間は、個別の細胞株の照会に応じます。 即ち、解析結果をお知らせ頂ければ、その結果は当センターが保有するどの細胞株と一致するか、あるいは一致する細胞株はない等の情報を返信致します。




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